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先頃、京都方面に出かけた折、膳所駅に近い滋賀県大津市の義仲寺を訪ねた。源平争乱期、朝日将軍と謳われた木曽義仲の菩提所である。いまはその面影はないが、当時は粟津が原と呼ばれ、琵琶湖岸が間近だったようである。一時は京を征し日の出の勢いだった木曽義仲だが、鎌倉軍勢に敗れ、この地で討ち死にし、ここに葬られた。後日、一人の尼僧がここに庵を結び、義仲の供養をした。その尼僧は巴御前だったという。まあ、これは伝説の類だろうが、ここに木曽義仲の墓があり、それが寺の起源であることは確かである。
それだけではない。この義仲寺には俳聖松尾芭蕉も眠っているのである。「木曽殿と背中合せの寒さかな」と芭蕉の弟子又玄の句にあるように、芭蕉はこの寺に宿泊し、この地が大変気に入ったらしい。芭蕉は大坂で死ぬのだが、義仲寺に葬ってくれと遺言した。粟津が原と呼ばれたこの地の風景が、わびさびを愛する芭蕉の美意識にかなうものだったのだろう。弟子たちは遺言を守り、芭蕉の遺体を淀川を遡って運び、義仲寺に葬った。伊賀の上野に始まって、全国を旅した芭蕉にはゆかりの地が多いが、その最終点、墓はここなのである。俳句をなさる人には聖地のような場所である。
これらの由緒の故に、義仲寺は国の史跡に指定されている。
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